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「不足」は「悪」なのかな?

何でだろう?
何でかみんな(私も含めて)
「足りない」って感覚を無意識に持ち続けてませんか?

私、ずっとそう思っていてやってきてました。
で気が付いたのは
足りないって思う原因は「みんな同じ」じゃないといけないって言う
子どものころからの世間の流れというか
そういったものからなんじゃないかと思うんです。

今迄色んな場面
家庭内、学校、職場、
友達と遊んでいても

みんな仲良し
みんな平等に
流行に乗り遅れないように

そうやって生きてきたから

でも、その基準はすごく曖昧で
みんなと仲良しになりたくても
みんなに好かれたくても

そもそも個人レベルで違いすぎるので無理

でも、集団生活生活が大事だから
”個”はずっと置き去りにされてきた。

”集団”より”個”が優先されることがほとんどなかったよね。

だけど、やっぱり
みんながみんな足並み揃えて同じようにしていると

同じじゃないと、足りないって言われる。

いびつだと「丸」にならなくちゃいけない
そういわれ続けてきた。

だから、「出来ないところを頑張りましょう」って言われる。
出来てるところは「そのままでいいって」言われるw

完全になるためには
努力が足りないって

足りない

足りない

そういわれ続けていつの間にか
自分は「足りない」人なんだって刷り込まれてきたんだよね。

 

看護師の世界で
患者さんのケアをする時に
よくあることだと思うんだけど

看護師は患者さんの療養のお世話を
するのが仕事なんだけど

それは色んな視点から考えられた
看護計画に基づいたケアを
担当でなくても
同じことが出来るようにすることが
とても大切って学校でも習うし

多分今もやってると思う

もちろん
患者さん側からしても
同じケアを受けることが出来るのは
安心につながるし

当然私もそう思って今までやってきたんだけど

そうは言っても
看護師それぞれ違う人間なので
患者さんの状態も日々変わっていくし

毎回同じケアが出来るとは限らないんだよね。

話し合いとかで決めたケアを
例えば何を観察しなければならないとかを
決めていたとしても

それをどの看護師も必ずできるかというと
そうではない

経験とか知識とかそういうのもあると思うけどね

そうすると、「どうしてあなたは出来ないの?」

ってなることがある。

私も経験があるんだけど
そういわれると
「自分は能力が無い」って思って
まぁ出来るだけ努力をする訳です。

でも、最近発達障害の子どもの育児なんかを見ていると

その子のできないところじゃなくて
できるところに注目して
凄く才能を発揮する人が出てきたよね。

発達障害が注目される以前にも
飛び出た才能を発揮する人ってどこかいびつな人が多い

これを、私たちは今まで特別な人として見てきたんだけど

時代と共に「違う」って気づいてきたんだ。

看護の世界でも

患者さんはひとりひとりの個性を大事にして
その個性に合った看護をしないといけなくなってる。

それが出来る看護師もそうでない看護師がいてもいい。
自分に合った看護をそれぞれが突き詰めていけば
そうやって色んな個性的な看護師がいれば
多様な患者さんに対応できるやんね

そしたら、病院での患者さんの生活は
違ってくると思うんだけどなぁ

だから、「不足感」ってあってもいいけど、
それをダメな事にしちゃいけないと思う。

その分、助けてもらえた時は
心から感謝できる

感謝が出来るって素晴らしい事だと思うんよネ。

ただ、私たちは常日頃
「不足している」って洗脳され続けている。

社会のシステム上
個性よりも「みんなと同じ」が大切になってるところが
沢山あるから。

ファンタスティックビーストって映画で
ジェイコブがパン屋を開きたいって銀行に相談に行った時
その銀行員がジェイコブの作ったドーナツを見て
「今は、いっぺんに沢山のドーナツを作れることが出来る」
みたいなことを言うんだけど

私はそれを見て
今の社会や学校の在り方と重なって
ゾッとしたのを覚えてる。

工場で機械を使って大量生産したドーナツは
味が一定で形も一定で
たくさん作れるかもしれないけど、
それ以外の形が不ぞろいなものは
価値が無いって廃棄されちゃう。

人間はそんな事無いっていうけど、
現実問題として、学校になじめなかったら
みんなと同じでなかったら
違う所を指摘されて
それが悪いと言われて
色んな価値観を植え付けて・・・。ね

 

ちょっと書いてて辛くなっちゃうんだけど
自分に対して「足りない」って思わされてきたかもしれないと思う。

同じ環境にいても
そうではなくて満ち足りてる人もいると思う。
だけど、気が付かないと「足りない」って思いこんでしまうような
そんな社会なのは間違いない。

そう思う。

これからは、そういう思い込み
「足りない」と思い込んでる人たちを
少しでも無くしていきたいと思う。

子どもになればなるほど
そういう思い込みは無くなっていくし
あっても外れやすいけど

わたしと同じかそれ以上の人たちは
強烈に思い込まされている
思い込むことを選択していて
それが、当たり前だと思い込んでる。

外すのは容易な事ではないけど、
これからの世界はもっとそれぞれの個性を発揮していくことで
世界が広がっていくように思う。

歪さを受け止めあえる
そんなやさしい世界にしたい。
(だから、私はカウンセリングが好きなんだなぁと思う)

自分には不足感なんてないと思っている人も
現状上手く行ってない事があったら
それは自分の中の「無い」が現象化しているのかもしれない。

50歳以上の人はよーく振り返ってみて欲しい。

そして、「不足感」は「悪」じゃないって気づいて欲しい

そして、一緒にもっと幸せになれたらいいなぁって思う

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