be myself

本当の平等ってなに?

平等と不平等

今更なんですが、平等って何だろう?

この世に平等なんてもんがあるのかな?

うん。

 

よく、学校の役員を決める時に言われたのが、
皆さんに平等に役員を回しています。

っていう言葉

役員の回数だけの話なんだけど、
ここに、一人の子どもにつき1回

とかの条件が付くと
そこはもう、すでに平等ではなくなっているよね。

だって、家庭によって子どもの数は違うし
うちは3姉妹だったので、子どもが小中学校を卒業するまでにそれぞれ3回。
計6回どれかの役員をしないといけなかった。

一人っ子のご家庭は2回で済むのにね。

更に、子どもの数が少ないから
最終学年では2週目が回ってくることもあって
運悪くクジが当たってしまうことも・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

で、役員によっては1回に数えてくれないものもあって
お父さんが役員をすると一人分免除とか
ホント謎だったなぁ

全然平等じゃないやん(# ゚Д゚)って思ってた。

なんやろうねぇ
平等でなければならないって

平等かどうかって判断するとき、
必ず誰かと(何か)と比較(比べる)事が必須になってくるよネ。

「平等に」って言われた時点で、
自分と誰かを比較しなくちゃいけなくなる。

この、比較する、比べるっていうのが
「平等、不平等」っていう言葉を聞いて
私がモヤモヤしてしまう原因なのかもしれない

後、「平等にやりましょう」っていう言葉には
多分(嫌な事、面倒な事は)っていう言葉が最初につく

私の中で、「~しなけれないけない事」っていうのは
概ね「嫌な事、面倒な事」と同義語なのでww

「イヤならやらなきゃいいのに」って

シンプルにそう思う

病院で働いている時にも
よく患者さんから

「あの人は良く話を聞いてもらっているのに、
私には看護師さんは話しかけてくれない」

そんな感じの事を聞く事がありました。

その他にも
精神科病院では開放処遇というのがあって、
病状によってはその患者さんの行動に制限をかけられることがある。

だから、処遇が重い患者さんほど、
「なんで私はあの人たち(他の患者さん)のように、
1人で出かけることが出来ないんだろう」

という訴えを聞く事もある。

不平等感を感じて、そう言っているんだよね。

「平等」を掲げている時
多分何か「不平等」を感じている時

で、その時必ず何か(誰か)と自分を比較して比べている

昔、私が子どもの時、
うちの母は一度も役員をしていない
昔は働いているお母さんって珍しかったので、
仕事をしている場合は免除だったらしい。
更に、「やります!」っていうお母さんも多かったらしい。

まぁ、私は第二次ベビーブームの世代なので、
子どもの数がそもそも多かったっていうのもあるとは思います。

誰も、平等にって無理強いしてこなかったみたい。

で、不思議なのが共働き世帯が増えることで、
各家庭の生活スタイルも大きく変わってきているのに
PTAのシステムがあまり変わっていないっていうこと。
これ、特に田舎になるほど変化してない。

私の知り得る中での話になるので
あくまでも私個人の感想なんですが

人の生活様式の変化に
既存のシステムが追いついていない

その時代はそのシステムが必要だったかもしれないけど、
現代でそれが必ずしも必要なのかな?

多分、多くのお母さんたちはそれに気が付いているんだけど
システムを変えることにすごい抵抗があるんだよね。

私、自分が役員をやっている時に
かなり、それを強く感じて
システムを変えていこうとしたんだけど

かなり抵抗を受けましたww

反対する人に個人的に話を聞くと
どの人も「嫌だ」とか「面倒」ってい感じていて
そのシステムにも疑問を感じているんだけど
いざ、変更しようとすると
物凄く強く抵抗してくる。

なんなんでしょうねぇ

例えば役員の仕事を減らしましょうってなると

既に役員を経験している人たちから
抵抗を受ける。

地域の行事なんかで、
役員が準備をする参加者の食事を
手作りから外注に変えようとすると
地域の大御所さんたちから「ダメだ」って言われる。

行事そのものを縮小しようとすると
地域の大御所さんたちから反対される。

実際反対してくるのは
以前その役員をやっていて苦労した人たちだ。

どうして反対するのか

それらの作業をすることで、伝統が守られるとか参加する人たちが喜ぶとか
そういうのは私、建前だと思う。

要は

「私も苦労したんだから、あなたたちも苦労して」ってこと。

自分だけが苦労するのは不公平(不平等)って言いたいんだと思う。

だって、自分は動かないんだから

伝統を守りたいんだったら、参加する人たちを喜ばせたいんなら、
その方法をかたくなに守らなくてもいいよね。
それに、誰がやるかを無理強いしなくてもいいよね
やりたい人がやればいい

う~ん

平等を振りかざす人って
結局今の自分の状況を人と比べて不満に思っている人たち

かも知れないなぁ。

そもそも平等不平等って「無い」

私はそう思ってしまう。

そもそも、人はひとりひとりが全く違う
容姿だけじゃなくて考え方も

そして、その周りの環境も

同じ人はいないよね。

だから、「比べる」必要が無い。

だから、平等ってものがあるとしたら、
それは其々が自由であること
ただそれだけだと思う

わたしは自分の目標としている人がいる。
それはワンピースのルフィ

今、ワノ国編のをやってるけど、
その中で敵につかまって投獄されたルフィが

手錠をされて自由を奪われても
「俺はいつだって自由だ」っていう場面がある。

どんな状況でも自分の自由を確信しているルフィは
決して自分と誰かを比較したりしない。

あっさり違いを認めてそれを受け入れてしまう。
そこに自分と比べて自分を卑下したり、奢ったりしない。

とってもシンプル。

だけど、それでいいんだと思う。

自分の自由を信じることは、自分の可能性を信じることでもある。
私はこの事を「自信」だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です