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自分を不自由にしているのは、結局自分しかいないって。

ネガティブな感情を拾ってしまうのは、自分が感じたかったから

久しぶりに現場に行くと、
仕事が終わった後に疲れがドッと出る日が最初の方に会って、
その時になんでだろうと思ったら
現場の気分に引きずられていることに気が付いた。

以前と比べて、格段に業務内容は軽くて、
時間も短くて、責任も無いのに、
なんでかなぁ。

考えてみたら、
現場で会う職員や対象となる人たちの言動に、
やっぱり振り回されて
気分が浮き沈みしている。

これ、前にも誰かに指摘されたことがあって、
そういう事があるんだとは分かっていたんだけど、
「あぁ、これかぁ」って改めて感じた。

病気の人に対する気の毒だという思い
職場や自分の環境に不満を持つ人たち

それらはみんなその人たちのものなのに、
その場の雰囲気や働き方は全然良いのに、
ほんとにちょっとしたその人の表情や言葉の端に、
ネガティブな感情を拾って自分の気分と勘違いしてた。

なんで、そうやって人の気分を拾っちゃうのかなぁ。

そして、自分が見たいものしか見てない
現場の人達が抱えている不満や辛さばかりを
自分で抽出して見ようとしていることに
改めてびっくりする。
結局、自分が感じたいから
その人たちのネガティブな言動を
自ら選んでみてるってこと!

病院で正職員やってる時は、
単に時間が不規則で、
2交代で束縛される時間が長かったり
業務内容が過酷なのと
そんなことが毎日の疲労の原因だと思ってた。

他人は自分の写し鏡ってよく言うけど
自分が弱っている時って
周りの人や環境に目が生きやすくなってる。
今回、しっかりと半年以上かけて
体を休めてきたからこそ
自分にとって余裕のある働き方を選んだからこそ
自分の感じたい感情を選んできていることを痛感!
そして、辛さを感じたがってた自分に
がっくり・・・_| ̄|○

本来の私は無責任でチャラチャラしている。

じゃあ、
本当の自分の気持ちはどうなのか
何が本当の自分なのか
何を感じたいか
どうなりたいか
ちゃんと意識してないと
飲み込まれてしまうんだな~(*´Д`)

私は小さいころから父親の顔色を伺う性格だったけど、
もっと小さい時は天真爛漫だったらしい。
物おじせず誰にでもすぐに懐いて
活発な子どもだったらしい。
多分、私の「素」ってその当時の私なんだろう。

最近のゆるゆる生活では、
ちょくちょくその時の天真爛漫な自分が出てくるようになった。
でも、そうやって自分の気持ちに集中しようとしても、
なかなかこれが難しい。
集中力が無いのと、
自分の事ばかり考えてると勝手に
「自分勝手」
っていうワードが思い浮かんで
罪悪感に駆られたり、
「他に優先させるべきことは無いか」って
すぐに考えてしまう。

病院勤めを辞めてから、
体が疲れを感じたら、
すぐに横になるようにしてたけど、
それでさえ、
「寝てていいのかな」とか思って(;^ω^)
まぁ、それでも休むようにしてたら
段々横になることには抵抗が無くなってきたけどね。
だからこそ、
今迄フワ~っと知っていたことが
本当に実感として
腑に落ちることが出来るようになってきている。
とても嬉しい気分になる。

私は本当はもっとチャラチャラした人間で、
適当で無責任。
苦しい仕事なんてしたくないし、
楽しい事だけしてたい。
我慢なんてしたくないし
好きなようにしていたい。
人やルールに縛られるくらいなら、
死んだほうがマシくらいに思ってる。

自分のペースが守られている限りは、
多分日常生活のほとんどの事を
「苦」だと感じない事も
このゆるゆる生活をしていて分かってきた。
だけどこの世界で生きていくためには、
義務や責任を果たさなくちゃいけない。
これ、本当に辛い(私にとって)www

私が大事にしているのは、
全てにおいて自分の意思が優先されていること。
自分のペースで動けることだ。

家事も仕事も育児も何でも、
他人や社会通念に支配されたり、
指示されたり制限されたりするのが、
死ぬほどいや。

ゆるゆる生活で改めて気が付いたこと

仕事のペースを「派遣」に変えてから、
「時間」については
自分のペースで動けるようにはなってきて、
そうすると
嫌いだと思ってた家事が
案外好きだったり、
朝のお弁当も楽しみながら作れたり、
そんな事が出来るようになって、
改めて「時間」を自由に使えることが
私にとってとても大事な事だと思う。

もっともっと自由になりたい。

自由って色々あると思うんだど、
今私が望んでいることは、
自分が持っている
「しがらみ」
「他人の目を伺う事」
から自由になること。

顔色を伺っていると、
全ての判断基準が「他人」になってしまう。
これが、俗にいう「他人軸」ってやつ。

この他人軸を強化したのは、
私の場合「看護教育」だったかもしれない。

誤解しないでね。
看護教育は「他人軸」を育てる教育ではなく、他人に寄り添う技術を教育するものです。

私が勘違いしていたのは、
その看護の考え方が
人間関係全てに通用するものだと思ってしまったことです。
看護の現場で通用する技術を
「正義」として捉えそれを盾にしてたんだよね。

その「正義」を守るためには、
自分の中で患者さんは「弱い人」でないといけないし、
それが波及してシングルマザーは
「弱い人」でないといけないと
自分の中で勝手に周りを歪んで捉えてた。

実際の患者さんは弱いとは限らないし、
シングルマザーの中にも強い人はいくらでもいる訳で…(笑)

もちろん私自身も
弱くもないし、悪くも無い(いい人でも無いけど)
可哀想でも何でもないけど
可哀想な自分を感じたくて
周りの可哀想な部分だけを抽出してきた。

どんだけ自分を不自由にしてたんだと思う。
ただ、そういうしがらみに左右される自分に
気が付くようになったから、
行き当たる度に
少しずつ
少しずつ
修正をしながら、
本当の意味で自由になりたいと思う。

病院を辞めることになって、
経済的に苦しくなるという不安に駆られて、
すぐに再就職をしていたら、
こんな自分には気が付かなかったかもしれないな。

私にとって、
コロナの影響は全くと言って
負担を強いられるものではなかった。
むしろありがたい事だった。
給付金があったりして何とかなったし、
たっぷりの時間を使って、
HPを作ったり
そのスキルを仕事にしようとも思えて
実際にお金をもらう事が出来たし

二度と看護師したくないと思ってたけど、
「派遣ならいいか」って
思えるようになったし。

色んな挑戦もできて、
派遣という立場から、
改めて看護師の仕事や
それに向かう自分を客観視できたし。

自粛中から見るようになった
ゲーム実況からも、
沢山の価値観を吸収できたし。

だから病院を辞めた時期が
3月はじめという
コロナの影響が強くなってきた時期と
重なったのは、
偶然だけじゃないなぁ。
何かの力が働いたような感じがするけど、
結局は自分が望んでいたことなんだと思う。

自分が自由であるためには、周りの人も自由であることが大切。

私が最近
本当に好きで見ているゲーム実況の人が、

「その人が本気のガチで自分の事を嫌いだと思っても、
自分が好きだったらいい」

って言っていて、
この人本当に自由な人で、
自分に対しても他人に対しても
信頼感がすごいと思った。
私はその人よりも
多分随分と年上だけど、
この人みたいになりたいと
本気で思った。

周りが自分の事をなんて言おうが、
自分はこれが好きだからそれでいいっていう
確固たる自分への信頼。

そこに向かってどんどん突き進んでいきたい。

正直、今迄外見とか生き方とか
ライフスタイルとかを見て
この人みたいになりたいと思う事はあったけど、
今思うとそれは全て
その人が持つ一部(主に物質面)を
憧れてただけだったかもと思う。
私の幸せへの通過点だった。

もちろん、
お金があって、
好きな物に囲まれて、
海外旅行に行ったりすることは
楽しいに決まってるんだけど、

そういう外側の張りぼてだけに
固執していては
本当の意味で自由にはなれないんだなぁ。

やっぱり、
自分の自由を阻害しているのは
自分でしかないという事を
ちゃんと自覚している必要がある。

そうすると
他人を意識している場合じゃないって、
自分にもっと集中しなくちゃって思うよね!

 

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