私が何か仕事とか人間関係で失敗した時に、
必ず陥るモヤモヤのループがある。
何回も何回も陥って、
場合によっては今でも思い出すと
「ひゃ~(;^ω^)」ってなる。
この間、派遣の仕事で
ちょっとしたトラブルがあった時、
やっぱりそれが出てきて
しばらくグルグル考え込んでしまったのだけど、
案外すっとそのループからぬけていて
穏やかな気持ちになってたので、
我ながらびっくりしてしまった。
どうしてモヤモヤのループから抜けることが出来たのか
私なりに反芻したことを書き留めておこうと思う。
トラブルが起こった時の以前の私
モヤモヤループから早く抜け出せたのは結果から言うと、
「その時湧き上がった感情に集中した」から。
ちょっとややこしいけど
「これかぁ!」って腑に落ちたので
順番に自分の中で何が起きていたかを
順番に書いていく。
前までの私は、
目の前に起こってしまった事、
自分がやってしまったことについて
「何故そうしようと思ったのか」
「どういった判断基準で行動したのか」を
分析するのが癖になってしました。
交通事故の責任の割合みたいに、
そこに関わった人たちに対して
誰がどのくらいの割合で責任があるのかを、
無意識に計算して、
出来るだけ自分に有利になる材料を集めようと
頭の中で必死に思考が動いている状態でした。
でも現実は誰がどれだけの責任を負ったとしても、
起こってしまったことを元に戻すことは出来ないし、
他人の感情をコントロールできるわけでもない。
自分が思ったように自分の正当性が認められて、
責任を免れたとしても
事実は変えることが出来ないので、
いつまでもモヤモヤと
気分が悪い状態が続くことになっていました。
トラブルになる原因を探したがる
今回、私が体験したトラブルも、
やっぱり気持ちがいいものではないのは変わらないけれど、
起こったことを淡々と受け止めて
その後に何をするかという事に気持ちを向ける事、
そしてここが今までとは違う所で、
湧き上がった「悪い気分」をしっかり味わって
事実と切り離して分析したこと
そのおかげでモヤモヤループを
思ったより早くに抜けることが出来たと思う。
何かトラブルが起きた時に
やってしまいがちなのは、
その事実をどうにかしようとして
その為の行動を焦ってしてしまうこと。
言い訳したり、
原因を探って相手を責めたり、
自分を責めたりしてしまう事。
これ、反射的にやってしまうけど、
かえって拗れて
結果ややこしくなることの方が多い。
一旦横に置いておくといいんだね。
これ普通に出来る人がいて
「なんで出来ないの?」
って言われるんだけど。
私にとっては
これはかなりしんどい作業で
事が拗れて更に
自分を責めるというループにハマる(´;ω;`)
最悪の状態にまで拗らせていた。
自分が失敗したのは事実なんだけど
そこに至るのは色々なわけがあって
これを聞いたらみんな
私を責める事なんてできないでしょう?
とか考えてたみたい。うける( ´∀` )
若しくは
「失敗したくてしたんじゃない!!」
って思ってしまうんだけど、
そんなの誰でもそうだよね。
何を「自分だけが真っ白で間違いません」
みたいに思ってたんだか←恥ずかし~
でも、やっぱりすれ違いや思い違い、
勘違いをするのが人間で、
色んな「違い」が重なるから
どんなの頑張っても
悪い事が起こらないようにするのは
無理な話だったりする。
そうすると、誰がどれだけ悪いって
分析することが
あまり意味ないなって思ってしまう。
そして、
「起こったトラブルは必ずしも悪いものとは限らない」
という側面もある。
何か修正をすることが出来たり、
隠れていた問題が浮上したり
そのトラブルによって
より大きなトラブルを防ぐ結果となったりすることもある。
そう考えると、自分がそこにいたことも悪い事ばかりではなかった。
(だから、私を責めないで…白目)
だけど今回はそこだけに留まらず
自分に湧いてきたこの感情の正体は
何だろうと考える。
現実に起きたことは、
その後の対処でどうにでもなることが多いけど、
関わった人たちの感情が一番厄介ともいえる。
トラブルの裏にある「怒り」。私の場合
私がトラブルに関連して持ちがちな感情は
「私が悪いんじゃないのに」(自己防衛)
「○○しておけばよかった」(後悔&自責)」
「△△がフォローしてくれないから」「システムが悪い」(他責)
これらの感情って、必ず自分以外の「目」に影響されてる。
だから、事実と切り離して自分の感情をじっと見つめてみる。
誰からも責められなかったら
自分の行動に良いも悪いも無かったら
どうしてこんな感情が湧いてきてるのかな?
そしてその感情の正体は何かな?
それは「怒り」だった。
「もういい加減にしてよ!」
「どうして私ばっかり!」
っていう怒り。
かれこれ、もう何年も「怒り」の感情ってどこかで封印してきた感じがある。
掘り下げてみると過去の私の体験につながった。
私の父親は何かあるとすぐに怒って、
その矛先は母親や私と弟に向けられていた。
人が大きな声を荒げて起こっている様子に、
私は強い嫌悪感を感じる。
テレビのニュースや、
周りの人たちが何かに対して
「怒り」をあらわにするシーンを見ると、
背筋が凍るような気分になった。
私は家の中で怒り狂う父親の姿を見て、
強い嫌悪感を持ちながら
どうすればそんな状態にならないで済むのかを
子どもなりに模索した結果、
その防衛策として
トラブルを分析して自分に納得させ続けた。
その結果
「怒り」の感情を
知らず知らずに押さえつけてきた。
「怒り」の感情を事実と切り離す。
感情的になって「怒り」をあらわにするなんて、
人間として最低だと思っていたので
トラブルが起こった時に
自分に対して怒りを向ける人に対して
「失敗しようとして失敗する人はいない」
「失敗は悪いだけじゃない」という正論を盾に
自分を守ろうとして
自分にも納得させて・・・・。
自分にも他人にも押し付けてきた。
湧いてきた感情にこうやって蓋をし続けたから、
いつまでたっても
モヤモヤのループから抜け出すことが
出来ずにいたんだねぇ。
いつも、
感情に蓋しちゃいけないって分かってるのに、
こんなところに落とし穴があるなんて思わなかったよ。
今回はそのことに気が付いて、
怒りまくっていた私を
「そうだね」「そうだね」って
慰めていたら
「まぁ…いいか」って
心の底から思えて、
気が付いたらループからぬけてました。
もちろん、
やっぱり思い出して
モヤモヤすることもあるんだけど、
以前に比べると圧倒的な速さで
立ち直ることが出来る。
自然にモヤモヤのループからぬけていた。
癒しきれてなかった
自分の感情をやっと成仏させることが出来ました。
(まだ、時々幽霊さんになって現れるけどね)
何か起こった時に、
現実を勧めないといけない事はあって、
それには
冷静に分析して
感情を入れないで
行動することも大切だけど
自分に起こった感情は
現実とは関係のないところで
しっかり見つめて
寄り添ってあげることが大切なんだねぇ。
だから、今現実に起こっていることは
そこに気が付くためのツールだから
昔ほど怖くないかもって
ちょっと心が軽くなった。