周りに、なぜかうまくいってる人っていないですか?
私の場合、その最たるものがうちの三女なんですが、
ちょっと観察してみると面白かったので
その内容を書いておきたいと思う。
よかったらお付き合いください。
最近の三女のツイてるエピソード3選
其の一 間に合う三女
もう絶対間に合わない~。って言う時も
必ずギリギリでも間に合います。
若しくは遅れたとしても、
相手も遅れていたりそんな感じの事がいくつもあります。
其の二 願いが叶う三女
三女はすごいくせっ毛で、それがどうしても許せないので
ストレートパーマを定期的に当ててるんだけど(高校生が贅沢よね~。)
その月は物凄く支出が多くて(ストレートパーマって高いでしょ?)
そのお金出しちゃうと月末厳しいなって
そう思って三女に一ヶ月延ばせないかな?って言ってたら
なぜかパパから臨時でお小遣いもらえて
無事、美容院に行くことが出来た。
其の三 大事に至らない三女
ある日、部活で膝が痛くなっちゃった三女。
友達に勧められた接骨院で見てもらうと
足関節が歪んでることを発見され治療を受ける。
痛みも無くなってしばらくたった頃
足首捻挫Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
試合前だしなんで?と意気消沈し病院へ
まず骨折が無かったことを確認し、
試合前に行っていた接骨院で治療を受ける。
で、よくよく考えたら
最初に足首の歪みを治してなかったら
今回の捻挫はもっとひどい事になってたかもしれないって事
ちゃんと試合にも間に合って結果オーライ
三女がツイてる原因を探るべく観察してみると…。
なぜか、そういう事が日常沢山ある。
不思議な事に、大事にならない
何でかなぁ。生まれ持った「運」の良さなのか??
でもね、観察してるとあることに気が付いた
- 素直に喜ぶ
何か嬉しい事があると素直に「嬉しい~」って喜ぶ。 - 自分はツイてると思っている。
何かいい事があると「○○(三女の名前)ついてる~(≧∇≦)」と言う - 失敗しても引きずらない
落ち込むのはその日くらい。
自分で解決できない事は、私にすぐ相談しに来る - 自分のやるべきことはコツコツとやる。
淡々と手を動かす。
行動する。 - 期待しない
友達にプレゼントをする時にも、相手の反応を過剰に期待しない。
こんなところでしょうか?
もっとあったと思うんだけど今ちょっと思いつかないので
これだけで話を勧めます。
ベースが素直
素直に喜ぶっていうのは、そのまんまなんだけど
やらないといけない事や行動しなくちゃいけない事については
四の五の言わずに行動する。
疲れてたり、嫌な事もあるんだろうけど、とりあえず行動。
ある程度俯瞰してみている
どこか自分の事なのに自分で無いような反応をすることがある。
ツイてるって自分で言っちゃうし、失敗してもある程度落ち込んだら
他人事のように冷静に冷静に分析しちゃう。
だから、悪いところを指摘されてもどこか他人事みたいなところがあって
笑い飛ばしちゃうこともある。
等身大
良くも悪くも期待していない。
自分を含めて周りの人間や物に対して
過剰な期待をしていない。
現状をそのまま見て
良いものはいいし嫌なものは嫌。
人の言動に振り回されない。
周りをコントロールしようとしない。
わたしとの違い
私は今でこそ素直に喜んだり悲しんだりできるけど
長い間、好きな物を好きと言えなかったり
嫌な事を嫌だと言えずにいた。
失敗したら長く落ち込むし、周りの目が気になって仕方が無かった。
周りの言葉や感情に振り回されて一喜一憂してたし、
つい最近まで「自分はツイてない」って思ってた。
私の三女はどこが違うんだろうって考えた時
外的な条件は色々違うのは置いておいて
決定的に違うのは
「愛されてる自覚があるかないか」
という事だと思った。
安定している
三女はいつも安定している。
情緒的にもそうなんだが
めったに感情的にはならない。
淡々としている。
見ていてそう思う。
自覚は無いかもしれないけど
自分に対しても他人に対しても信頼しているので
自分の色んな言動に対して
ちゃんと許可しているという感じ
喜んでもいい。悲しんでもいい
頼ってもいい。
悲しませてもいい。浮かれてもいい
他の人に比べて「自分の感情に肯定的」
そういう感じがする。
だから、感情表現することに変な躊躇は感じないし
自分が困った時にはすぐ周りに頼ることも出来るので
変に我慢することもないし
問題が起きても早く解決して後々引きずらない。
結果、小さな揺れはあるんだけど
それが大事になることは無い。
だから、傍から見るといつも安定しているように見えるし
そうすると安心感が生まれてくる。
「愛されてる」という自覚
安定しているという根底には
「愛されている自覚があるかないか」がある。
これは、実際に愛されてるかどうかわからないけど
「愛されてる」って自分で思い込んでるかどうかってこと。
まぁ、この世に愛されていない人はいないと
私は思っているんだけど
自覚が無い人ってかなりの割合で多いと思う。
自己満足と言われてもいいんだけど
「私愛されてる」って言うと、何か特別な事のような
そんな事を言ってると浮かれてると思われがちで
頭がお花畑でヤバいやつとか
自信家とか言われちゃったりして
そう思っていても、思ってないふりしなくちゃいけないような
そんな風潮が昔はあったんだよねぇ。
実際、私は「誰からも本当のところ愛されてない」っていう
歪んだ自覚をしていたわけです。
まぁ、私の事は置いといて
三女は口に出したりはしないんだけど
自分が私を含めたみんなに「愛されている」事を良く知っています。
自覚は無いかもしれないんですが
いや・・・。自覚してるなww
「愛されてる」って自覚するってことは
別に妄想でもいいんじゃないかって思う。
「誰かに」っていう限定をつけるとそれは困っちゃうんだけど
なんか分からんけど色んなもの(目に見えないものも含む)から愛されてる
そんな感じでいいんだと思います。
実際三女が「愛されてる」って感じているのも
私を含めた周りの人だけに限らず
目に見えない存在や、動物、物も
お馬鹿さんなくらい「自分は愛されてるんだ~」って思って
それを信じているとしたら・・・。
それはそれは幸せな事だと思いませんか?
「幸せだ~」と思っていたら
「幸せな事」が起こるってことですよ!
周りに愛されてるって思ったら、
その周りを邪険にしたり、粗末に扱ったりしないでしょう?
三女の部屋はいつも綺麗に整頓されています。
(まぁ、最近は疲れて出来ないことも多いけど)
物一つ一つにちゃんと居場所があって
大切に、丁寧に扱っています。
私は良くものを無くすんですが、
三女は無くさない。
何故なら自分のものは必ず定位置があって、そこに戻しているから。
「愛されてる自覚」があると
「周りも愛する」ことが出来る。
そして、「愛」を感じていると「幸せになる」
幸せな気分は、さらに幸せを呼びます。
というか、幸せなこと、ツイてることしか
目に入らなくなる。
結果上手くいってるってことになるんですよね。
だって、どうせ愛されてる~心屋の教え~
私は、心についての勉強は「心屋」で学びました。
正直ピンとこなかったのがこの言葉
「どうせ愛されてる」
これを言う度に
なんかむず痒い、落ち着かない感じがしていました。
だけど、これ本当の事なので
自覚が無くても言ってみる方が良い
誰かに向かってではなく
自分に向かって。
三女は、生まれついてなのか分からないけど
私が教えたわけでもなくちゃんと「愛されている」っていう自覚を持っています。
多分本当はみんな生まれた時にはそう思ってたはず。
だけど、成長するにしたがって
それを信じれなくなるんだよね。
でも、今実感が無くても
愛されていない人は世の中にいないんだよね。
だから、自覚が無くても
何回も自分に言ってみて欲しい
「どうせ愛されてる」
「どうしようもないくらい自分は愛されてる」
図々しいと思われても
頭お花畑って笑われても
自分が幸せになりたかったら
自分だけが先に変わっちゃえばいい
「愛されてるんだって」思いこんじゃえば
上手くいくんだよ!