be myself

「誰かの為になりたい」と思ったら「やっぱり自分から」だとつくづく思った件について

何とかしないとい・け・な・い?

 

あのね、看護師をしていて
これって、もしかしたら「看護師あるある」かもって
密かに思っていたのが

「現状を何とかしようとして無理をしてしまう」

使命感とかかな?
そうでないかもしれないけど、
ちょっと
「私が何とかしなければ」って
思ってる人が多いのかもしれないと思う。

看護師の仕事は日勤だけでなく夜勤もあるので、
勤務表はかなり複雑です。
その病棟に勤務している看護師人数は
その病床数によって大体決まっていて
その中から一日の日勤者、
夜勤者、休暇を振り当てないといけない。

毎月勤務表を作成する前に、
各自次月の勤務希望を出すんだけど、
子どもがいる人で同年代の子がいたりすると
行事が重なるので
休み希望が重なったりして

その都度どちらかは夜勤で対応するとか
そういう調整がされる。

患者さんの状態や、病棟によっては
大きな手術が予定されているとか
委員会とかそういうのも考慮されるので、

毎月師長さんは大変だなぁ

と思っていたわけです。

で、あんまり大変なので
希望は月3回までとか制限されることもある。
(今になって考えると、そんなの管理者の怠慢じゃん)

そうやって練りに練った勤務表だけど、
いざ勤務が始まると病欠があったり、
子どもが病気になったとか

突発的な出来事があったりして
その人が休んだ穴をどうやって補うかを
相談されるんだけど、

私、結構そういう時に「私やりますよ」っていうタイプだった。

そうすると、師長さんも助かるし、
休んだ人も安心して休めるしね。

そして、自分も
「人の役に立ってる、病院の役に立ってる」って
思ってたの。

それで、
「私がいなくちゃ」っていうのを
より強く感じたかった。

自己満足
他者の評価を期待しすぎ

思いっきり他人軸である。

「他人軸の人」って病院側から見ると都合がいい

それって、病院側としては思うつぼなんだよね。

現場で困ってることがあっても
現場で解決しちゃってるから、

それが
あたりまえになって
全然改善されない。

病院からの評価を気にするから、
病院の思うように勝手に動いてくれる。

で、現場では看護師は疲弊して
看護の質も落ちてくるし
それを補おうとして
勤務時間外に研修に行ったりして
それでも変わらなくて
ギスギスした人間関係が続き
とうとう辞めていってしまう。
【全部がそうとは限らな】

でも、看護師って誰かの役に立ちたい人が多いし、
責任感も強い人が多いから
辞めたことで自分を責めたりするんだよね。

で、看護師が減った病院は困るのかって言ったら
そうそう変わらないんだよね。

一人減ったぐらいでは何ともならない。
減った分現場が何とかしてくれるし、
もっと安い給料を提示したとしても
看護師のなりてってたくさんいるんだから。

生活に困ってるシングルマザーとかは
格好の標的だよね。
シングルで子どもの世話があるから夜勤が出来ないっていう条件を逆手にとって、
易い給料で雇えるんだもんね。

本来、業務の調整って管理者、雇用者の仕事。

仕事はいっぱいとってくるから後はよろしくって
いい加減にして下さいって話。

何で、休みの希望3回しか聞いてもらえないの?
自分のキャパ以上の仕事をしても
全く給料に反映されない。
1時間の仕事のうち、その内容の濃さは反映されない。

シングルマザーが子どもとの時間を犠牲にして働いてても
働く時間が少ないせいで、夜勤が出来ないせいで
少ない給料で働かされているという事を

看護師たちはもっと自覚していかないといけないと思う。

離婚してひとり親になった人へ就業を促す公的プログラムに
看護師、介護士の学校への支援がある。
学校に通う事でその授業料などの援助が受けられる。
でも、看護学校の授業ってめっちゃ大変だよ?
後、いまだに准看護師制度を続けているのは
医師会が反対してるかららしい。
どうしても、病棟勤務とか施設勤務は人件費がかかるから、
少しでも安くしたいって思ってるんじゃない?
捻くれてる考え方かもだけど

人の弱みに付け込んでるような感じがするよ

政府が示す病床数に対する看護師介護士の人数って、
最低限で合って
それが全てではないんだよね。

コロナが蔓延して、県外、特に首都圏への移動が制限された時、

子どもが規制するために自宅待機が必要になって、
そんな時にも、病棟に勤めている看護師たちは

「病棟が上手くいくのか」
「自分たちが長期休むことによって病棟は大丈夫?」

そんな心配をしなければいけないと
思い込んでいる。

「休んでもいいなら休むけど、大丈夫?」ってね。

でも、そういう看護師の態度が
自分たちの首を絞めていることを
もっと自覚した方が良い

無理して頑張ってその日一日を乗り越えた時
その達成感はチームの団結力を強めるし絆も強くなっていく
「私たち頑張ったね。私たち凄いね」
それはとてもいい事なんだけど

出来ないことを「無理です」って示すこともやっていかないと

雇用者にしてみれば
「出来たじゃない!じゃあまた今度もよろしく」
ってなる。

それだけのマンパワーで出来るっていう事実を
看護師が自ら実証していってしまってる。

後、看護師ってわりかしお金に対して疎い

罪悪感を持っている人も
私を含めてだけど多いと思う。
病気の人たちからお金をもらってるっていう罪悪感

これ、大きな間違い

私たちがお金を給料としてもらっている相手は「雇用主です」

流れ流れて患者さんからもらってるということも出来るけど

患者さんから流れたお金は
病院や施設に入ってそこから従業員に支払われる

その配分を決めているのは雇用者です

だから、自分の働きに対して給料をもらうのは正当な行為です。

人の病気をお金の為に利用しているのではないです

罪悪感を持つ必要は全然ない。

だけどそう教えてくれる機会が無い。
看護学校でも教えてくれない。
ただ、患者さんの事を一番に考えなさい。
そう教えられる。

だから、お金の為にこの仕事を断ったら罪だ
って思いが、どの職業よりも強いと思う。

だから、患者さんの為に
身を削って、犠牲にすることこそ
看護師の使命と思っている人がいる。
特に40代から50代の年配の看護師、

患者さんを本当に救おうと考えるなら・・・。

看護師が一番健康的でいなければならない。

私はそう思う

心身ともに、その家族も含めて健康でなければいけない。

患者さんにしてみても不健康な看護師さんに観てもらいたくないよね~

だって、自分は病気で苦しくて痛くて辛くて何とかしたくて病院に来てるのに、
何で看護師さんのご機嫌伺しなくちゃいけないの?

だから、今の病院って
大体どの病院に行っても波動が低いというか、
雰囲気が良くないところが多い。

もっと看護師も自立しよう
その職務はとても崇高で素晴らしいものなんだけど

それを全うするためには
やっぱり「自分はこうありたい」という信念のようなものがあった方が良い。

こうありたいという事には
自分だけの事じゃなくて、
経済的な事も
趣味や娯楽も
家族の事も
家やその環境も
全部含まれる

そして、
これだけの仕事に対して、これだけの給料が必要です。と
交渉していくこと。

それは、正看護師ならこのぐらい准看護師ならこれくらいっていう枠を外れて
これぐらいの成果を出せるっていうチャレンジ精神も必要だよね。

今まで、看護師の地位を上げようとして
病院や社会に働きかけていくことがメインだったけど

今は看護師がそれぞれ個人の在り方を実現するために
もっと自覚していく必要がある。

それには、覚悟が必要だし、
今のお給料がそれなりに良いからコレで良いっていう人は
それでいいんだと思う。

もっと個人レベルの自立の話になっていくんだろうな。

だからやっぱり楽しく生きよう

楽しくっていうのも
個人個人で違うから

今の病棟勤務が全く楽しみが無いわけじゃない。

患者さんとの関りは
本当に貴重なものだし

感謝したり、感謝されたりすることも沢山あって
生きがいもある

だから、本当に個人のレベルで

自分らしくとか

自分の本音に沿ってとか

そういうことを真剣に考えて

出来るだけ後悔の無いように

楽しんで生きること

そうしようよ

 

 

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