be myself

自分が採用する価値観(思想)

繋がり

派遣の現場で耳にした言葉

「もっと親が頑張らないと・・・。」
「親の頑張りで、子どもは違ってくる」

盗み聞き(勝手に耳に入ってきたんだもん!)した内容によると、
どうも、発達障害の子どもを持つ親に対しての発言だったよう。

「一定のところまでは出来るようにしてあげんと…。」
「その子の為にも親が頑張らんと…。」

あぁ辛い・・・。

その親も子どもも既に頑張ってるんだよ!

その子がどんな状態かは知らないけど、
発達障害の人って一般常識に合わせようとすればするほど
物凄い疲れるししんどいんだよ

分かってないなぁ・・・。

まぁ、その人の価値観を言ってるだけなので、
ただ耳に入ってきた言葉にそんなに反応することは無いんだけど、
すごく反応してしまった。

ここにきて、その言葉に反応してしまうのは
長女の事があるのかもしれない。

職場で苦戦中の長女の話を聞いて…。

今年に入って就職して一人暮らしを始めた長女。
職場ではかなり苦戦しているようです。

長女は「自分は周りと違った考え方をしている」と自覚している。
高校生の時もいつも周りと違う考え方や行動で存在が浮いていた。

本人はそのことがとても居心地が悪くて、
何とか周りに合わせようと必死になっていた。

今回の就職でも同じような事が起こっていて、
今度は部活ではなく、会社の組織なので
長女に対しての圧が厳しく毎日疲弊している状態らしい。

困ったことがあると、
「話を聞いて欲しい」とLINEしてくるので、
聞くだけ聞いて本人が聞きたい事だけ答えて、
あとは放置。

もう20歳だし、一人暮らしは続けていきたいらしいので、
自分で何とかしないとね。

私の方が、絶対先に死のうと思っているのでww、
私がしてあげられることは見守ることしかない。

そんな長女とのやり取りがあった後だからかなぁ

「親がもっと頑張らないと・・・。」

そんな言葉に

「知らんくせに勝手な事ばっかり言ううなよ!」

なんて、心の中で毒づいていました。

不安から口うるさくなった過去

子育ては不安になる要素がいっぱいある。
子どもがちゃんと生きて行けるかどうか
他人との人間関係が上手くいくかどうか

出来ればみんなに大事にされて愛されていて欲しいし
幸せになって欲しいと思う。

その為に「こうした方が良い」とか
「ああした方が良い」とか
色々言いすぎることもしばしば。

私は基本、子どもがやりたいようにさせてきたけど、
長女に対してはちょっとうるさく言いすぎた感じがある。

周りに合わせられない長女に対して、
「合わせるためにはどうすればいいか」
ばかりをアドバイスしてきた。

「変な目で見られる」「みんなと同じようにできない」
そう言って泣く長女が可愛そうで、
見ているだけで苦しくて、
出来れば変わってあげたいとまで思ってた。

だけど、もっと彼女の気持ちを汲んで
「もっと自由でいいんだ」と「そのままでいいんだ」と
言ってあげられてたらよかったんじゃないかと
今でも思う時があって・・・。

だから余計に
「親がもっと頑張らないと…。」って言葉に
反応したんだろうなぁ

昔の私を否定して
長女に対して申し訳ないって思ってる

過去の自分に対する罪悪感が刺激されたんだねぇ

価値観の変換

今はありがたい事にいろんな経験をさせてもらってから、
色んな価値観で物が見れるようにはなってきているので、
さすがにもう自分を責めるのはやめようという結論に
辿り着ける。

その結果、あんまりモヤモヤすることはなくなったし、
焦って「何とかしよう」とはしなくなった。

価値観というか色んな思想を選べるのは、自分を自由にしてくれる。

下手に「自分は不幸だ」とは思わなくなる。

色んな価値観は本やSNS、映画、音楽なんかからも得られる。
どの価値観を採用するかは、自分の自由。

ただ、頭だけで理解しているのと腑に落としているのとでは全然違う。

頭で「いろんな価値観がある」って分かってるだけだと、
なんだか 「大人の対応」=「自分を我慢させる」 になる。

色んな価値観があって、
自分がどの価値観を採用するのも
自由って分かってるけど、
実際「本当は違うのに」って思いながら我慢することになる。

それは散々やってきた。

で、思ったのはこれだけたくさんの価値観があるのだから、
みんな行動が違って当たり前。

ずっと思っていたように、
個人が全く違う上に
環境も全く違う人同士が一緒に生きているのだから、
「誰かに理解されないと幸せになれない」っていう執着を
捨てる事が楽になったきっかけだった。

一見、人間関係を諦めるかのような感じだけど、
これは裏を返せば
「その人でなくても分かる人は分かる」っていう自由。

例えば、私の場合は
「親が頑張らないといけない」という価値観を手放す。
そういう思想を持っている人のその部分(価値観や思想)には同調しない。
(その人とその人の思想は別物と考える)

その人の価値観とその人自身を分離させる

つまり、どんな思想を持っていようとその人の人格や価値を否定しない
だから自分も否定しないしされない

 

私にとって、それが許される人間関係が一番心地いいから、
今は自然とそういう人達とだけ繋がっている。

自分と違う価値観を持つ人を許さない人とは
残念だけど繋がれない。

 

価値観(思想)は変化する

価値観(思想)の作られ方は人様々

ひとつの価値観(思想)に出会って、
それがとても素敵だと思っても、
その思想に縛られない
その時々でどんな価値観を採用するかも自由でいたい。

自分の価値観以外の人を攻撃する人って、
普通にたくさんいるから、
自分の価値観を主張するってすごく勇気がいるし、
怖い事でもある。

だから、心の中だけで主張するのもいい。
周りと違う価値観を持っていることを、
自分の中だけで肯定すればいい。

だけど、いざって時は言葉に出して「私の考えは違います!」って言ってみよう。

優柔不断、八方美人なんて言いたい人は言えばいいww
   (なんて言いながらビクビクもしているのだけど…。( ´ノω`)コッソリ)

そんな自分もまた面白い。

そんな中、一緒にいて心地いい人たちを出会えたら、
それはもう嬉しさ倍増
よく頑張った!自分って褒め散らかそう!

だから、長女には長女の価値観(思想)の広がりが
今後あるのだろうし、
そのどれを採用するかは長女の自由。

そしてどんな状況であろうとも、
彼女は幸せになる。
さらに言えば彼女は既にいろんな面で幸せだ。

それを信じて、彼女の自由を見守るという考えを私は採用する。

私が関わった事で彼女の人生が変わったように見えても、
それは彼女が選んだ人生だから必ず幸せになる。

 

否定されない世界

ここまで書いてみて、
どんな価値観を採用するのも自由だけど、
それを自分に許可することがやっぱり大事と思う。

周りと同じように考えられない自分を非難することは、
周りと同じようにできない誰かを非難するのと同じこと。

自分が相手の一部しか見てないのと同じように
相手も自分の一部しか見てないのだから
というか・・・見れないのだから、
全て見れないくらい自分も相手も奥深くて複雑だから

明日は満月
手放しには最高の日

私は「親がもっと頑張るべき」っていう価値観と
「そういう人達に理解されたい」っていう執着を手放すよ。

価値観や思想で人が(自分を含めて)否定されない世界を望みます

お月様 手伝ってお願い(-人ー)

 

 

 

 

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