be myself

優しい世界で生きるためには・・・。

厳しいところにいられない

最近の私は、厳しいところに
本当に居られなくなってきています。

昔、「頑張ること」が美徳だと
本気で思っていた時は
人間は苦労してなんぼ
苦労していない人は人間として浅い

とまで思っていた。

3年くらい前までの私。

今はその当時の私から見たら、
本当に腑抜けになってしまいました。

苦労は報われる?

それは小さい頃に読んだ
漫画にも影響があるのかもせれない。
私が小さい頃に夢中になっていたと言えば

「キャンディ・キャンディ」とか
「ガラスの仮面」とか

どちらもヒロインの生い立ちが
結構恵まれていなくて、
でも、そこから幸せになっていくストーリー
そこには、主人公を助けてくれる人たちがいて

わたしにもそんな人がきっと現れるから
辛くても頑張らないと

そんな風に思っていた。

そして、それは
「苦労している人ほど幸せにならないといけない」

そんな風に転換されていた。
それは、現実問題として
「苦労していても報われない人がいる」という事を
知ったから。

その、最たるものが私の両親だった。

どうしてこんなに苦労しているのに報われないんだろう。
その思いは自分の外側に向かって
「怒り」となっていた。

私はずっと怒っていた。

そして、私もまた
両親と同じく苦労する人生を今まで生きてきた。

苦労は苦労だったのかな?

でも、仕事を辞めて自分の時間が増えると
色々過去を思い出すと
今迄「私は苦労してきた」って思ってたのが
違うって気が付いた。

本当に私は恵まれているし、幸せだった。
今も幸せだし

素敵な人が回りにはたくさんいたし、
本当に困った時は手を差し伸べて、声をかけてくれて
背中を押してくれる人はいっぱいいた。

自分は頑張れていないから不幸

だったんじゃなくて

頑張れなくても幸せだった。って

気が付いた。

そうして、肩の力を抜いていくと
周りの色んなものが赦せるようになった

そうすると周りは「優しい世界」に思える。

でもね、人間って不思議なもので
昔苦労した事を
また味わいたくなる時がある。

麻薬のような苦労中毒

これの正体が何なのか私にはまだ分からないけど

もう終わりにしたはずなのに
まだ表れてくるこの現象を
「また、味わいたくなったけど、違ったわ」って
また手放す。

もう自分から厳しい世界には足を踏み入れない
だろうと思う。

わたしね、元々は厳しい世界をうまく生き抜くってこと出来てた。
それは私が独身で総合病院で看護師として働いてた時なんだけど

苦労無しで成功していた

一番最初に配属されたところは
私が一番生きたい病棟だった。
大好きな先輩がいたし、そこの師長さんはじめ
とても楽しい人たちで
学生の時からそこに行きたい思ってたら叶っちゃった。

でも、3年を過ぎた頃、病院の方針で
看護師が部署をローテーションすることになって、
そこに私が選ばれてしまった。

新たに配属されたのは循環器の病棟で
看護師の中ではお勉強が出来てないと仕事が出来ない
そう、知識が無いといけないところ。
学校の先輩がいたけど
その先輩も厳しいことで有名で
そこの師長さんも厳しかった。

もう「終わった」って思ったよネ。

新しく配属されると、色んなオリエンテーションと共に
そこで働くために基礎知識のお勉強が始まって
私はそれが苦痛であんまり真剣に取り組んでなかった。

当然、先輩からは白い目で見られ、
後輩からも「こんなことも出来んの?」って感じで
思われてたみたい

でもね、そういうのひしひし感じながらも
私はその時没頭していることがあって

それがジェットスキーだった。

もう、休みの日だけじゃなくて
夜勤前とか夜勤明けとかにも
琵琶湖に行ってずっと乗り回りてた。

それがあったからかな?
なんか知らない間に厳しかった病棟の中でも
一緒に遊んだりできる友達が出来て
そのうち、病棟に出入りしている先生とか
病棟全体を巻き込んで一緒に遊んだりできるようになって

気が付いたらそこで働くのが楽しくなった。

私が転属になった以降も
他の部署から配属される人はいたんだけど
結構1年くらいでやめてしまっていて

何でか、一番出来の悪い私が
一番長くそこの病棟にいるっていう変な現象が起こっていた。
相変わらず、勉強らしいことは全くしなかったし怒られることもあったけど
概ね楽しく仕事していた。

その時は1年に1人病院全体から選ばれて
教員養成講習会(1年コース)に推薦された。
理由は「みんながやめていく病棟で、長く勤められたから」だったw

その時は上司にあたる先輩から
「あなたが選ばれたことを私は認めない」って言われたりした。
そりゃそうだよ。
全く病棟のために働かなかったし
ただ楽しく毎日仕事して遊んでただけだから。

厳しいと思う所もやり過ごすために必要な事

こうやって、私、
厳しいところをやり過ごす
厳しいところでも楽しくできるっていう課題を
こなす事が出来ていた。

で、ここなんだけど
わたしよりお勉強を頑張って
病棟の為に一生懸命働いていた人は
その講習に行けるメンバーに選ばれなかった。

何故なのか未だに謎。

私はお勉強が楽しいと思いだしたのは
教員になってからで、
それまでは全然勉強しなかった。

唯一考えられることは
肩の力が抜けてる状態だったこと。
仕事に関してとか、その病棟の人にどう思われるかってことに
執着が無かった。

自分の好きな事に熱中してて
自分に向けられてる嫌な感情やネガティブな感情に飲まれなかった。
そりゃあ悲しかったり辛かったことはあるけど、

大体仕事は楽しく出来てた
毎日楽しかった。

でも、いつの間にか
頑張らないではいられなくなった。
独身の時は自分一人の事を考えていればよかったけど

結婚して子どもが出来たら、
本当に窮屈に感じた。

で、そこでもリラックス出来たらよかったんだけど
頑張っちゃったんだよねぇ

頑張ることで見失った「楽しむ心」

そもそも頑張れない人なのに
メッチャ頑張ったんだよ。

そうしたら、荒んできたねぇ

頑張ることが報われる全てだと思ってたから

で、離婚してシングルになってもっと苦労して
今やっと、自分を取り戻してきてる。

教員講習会に選ばれた事は
良かったのか悪かったのか
それは分からない。
正しい事なのかどうかも

でも、言えるとしたら、

頑張ることに執着しないこと。
多分、本当に楽しい事を楽しんでやってれば
傍から見ると「頑張ってる」と思われる状態と
一緒なのだと思う。

やることは同じ

でもそこに結果に執着せずに
その過程をただ楽しむこと
執着しないだけで肩の力が抜ける
色んな余計な力がいらない
スムーズに事が進む

そんな気がしている。

優しい世界に住むことを望む

だから、
私にはもう厳しい世界は必要ない。
時には思い出して足を踏み入れてしまう事もあると思いけど、
多分、すぐに引き返せると思う。

罪悪感を植え付けられたり、
無理をすることと頑張ることが
同じ意味を持つような
そんな世界はもういらないと思う。

残るのは、「やさしい世界」
自分が楽しむのを赦せる世界
他人が楽しむのを赦せる世界

自分にも人にも

動物にも、物に対しても
優しい世界だけが私の周りには残る。

 

 

 

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