思えばいつも安心できなかった。
安心について色々考える
思えば、いつも私は「安心」を求めていたと思う。
自分の、自分だけの居場所をずっと探していた気がする。
でも今までは学校でも職場でも友達同士でも結婚しても、どこか自分をそのまま曝け出せなくて「居心地の悪さ」を感じていた。
自分の思うままにとか
何でも思う通りにっていう
傲慢さもあった。
多分、自分らしくいる方法が分からなくて、
拗ねて傲慢になっていたんだろうと今なら思う。
で、改めて「安心」って何だろうと思うと
?????(。´・ω・)ん?
で、世の中の「安心」らしきものをよ~く見てみると
今まで当り前に思っていた保険とかに対して、
「本当に安心なの?」
って思うようになった。
単純に生命保険とか入院保険とか入ってないと、メチャクチャ不安になる。
病気になったら、ケガをして働けなくなったら、入院することになったら・・・。
先立つものは「お金」だとインプットしていた。
だけど、父の入院を見てみても、
当然入院費などは父が掛けていた保険によって、
必要な金額は保証されているんだけど、
父が一番不安に思っていることは
多分お金じゃないんだろう。
※保健があるから、お金のことは心配なくなったから
ほかの不安が出てきたという見方ももちろんある
だけど、お金じゃどうしようもない事が沢山ある。
入院に際して、
保証人のサインを誰にして貰ったらいいか
入院に必要な物品をどうやって調達したらいいか
見舞いに来てくれるのかなど、
は保険じゃどうしようもない。
だけど、私は病気の回復に関しては
お金以外の部分も相当大事だと思ってる。
だから、保険のCMなんかを見ていて、
「月々○○円で安心です!」
みたいなのを見ると、
(。´・ω・)ん?って立ち止まっちゃう。
自動車保険についても、去年かな?娘が2件の交通事故にあったんですよ。
ひとつは、自転車に乗ってて横から出てきた車に当てられたのです。
ふたつ目は自分が車を運転しての事故。
自転車での事故では足を怪我(結果大したことにはならなかったんですが)しました。
この時私は仕事中で、
本人からの電話で病院に駆けつけました。
メチャクチャビックリしました。
そこに現れたのは相手側の保険会社の方で、
病院での手続きやらその後の流れについて
とても丁寧な説明があり、
何も心配することも無く
治療を終えて帰ることが出来たんですが、
当事者である相手の方は姿を現すことはありませんでした。
後に一度電話があり謝罪を受けたんですが、
最期まで、どこのどなたなのかは分からないまま
保険会社の人とのやり取りだけで終わりました。
もう一軒の事故についても保険会社の人同士のやり取りで終わったのですが、
加害者側、被害者側のどちらも経験して、
思ったのが、
保険会社にお任せすることの気楽さと、
当事者同士のやり取りが無い事で、
自分が被害者になった時には
「相手の誠意を感じられにくい」と思いました。
壊れた自動車や自転車の損害賠償は
保険会社同士でやり取りされていて、
私的には何の心配も無かったんですが、
相手はどうだったんだろう?
事故っていうネガティブな出来事だけど、
当事者間でのやり取りを保険会社に預けることで
更にネガティブにしていないかって思ったんです。
それは、もし娘の命がその事故で無くなってしまっていたら…。
って考えてしまった時
保険会社の人がやってきて、賠償金を支払われたとして、
その金額はその保険会社と相手の間で契約した内容に沿って
決められるんですよね。
いうなれば、私の娘の命の値段を相手に決められてしまうという事です。
そもそもお金に変えられる事ではないですよ。
なんだかとても切なくなります
ただ、事故が起こった事は変えられないし、
死んでしまった人は生き返らせることは出来ない。
相手にも言い分があることもあるし
そしたら、被害者の慰めになるのは
「お金」じゃないと思うんです。
多分、当事者の誠意ある「謝罪」だけです。
被害者の立場からしたら、保険会社が入ることで、
余計悲しみや怒りが逆撫でされることになるんじゃないか
病気や事故という出来事を通してやり取りされるエネルギー
そう、加害者側に対して「保険会社に任せて自分は何とも思わないのか!」って感じ。
自分が加害者になった時には「任せて安心」なんですがね
立場によって、保険に対する安心って変わるよなぁ∼・
お金はあるに越したことはないよね。
あるとやっぱり安心だし。
ただ、こういったネガティブな出来事の時に
やり取りされるお金のことを考えると、
そこに乗っかってるエネルギーを
出来るだけ良いものにできるといいなぁって思う。
いくら、沢山のお金を貰えても、
そこに乗っかってるエネルギーが低いと、
やっぱり納得できなかったり、
悲しみが浄化されなかったり…。するのかも
で、今思い出したんだけどね。
昔勤めていた病院で出会った人の事
その人、精神的な病気を抱えていたんだけど、
ずっと薬でコントロール出来ていて
すごく慎ましく生活をしてきたんですよね。
離婚して、一人で子どもを育て上げてきて、
あとは余生を静かに生活していこうとしていた矢先に、
今まで経済的にも知らん顔をしていた元夫から、
高額のお金が振り込まれたんですよね。
ラッキーって思うと思ったら大間違いで、
その人は「札束でほほを殴られる」という体験をしたんですよ。
今まで見向きもしなかったのに、
大きなお金が入ったからといって偉そうに!
十数年お金に苦労もしたし、
一人で頑張ってきたその苦労を
踏みにじられたって感じたみたいです。
お金に乗せるエネルギーだけじゃなくて、
受け取る方のエネルギーも関係してくるんよね
ちょっと話がズレたかもw
時を戻そう
安心の話よネ。
分からないんよ~。
だけど、一つ思うのは
安心って、その瞬間瞬間に感じられるものなのかもしれない。
本当はずっと安心の中にいたいんだけど、
って思うんだけど、
今感じている一瞬一瞬の安心感の繋がり
それが安心なんだよね。
なんで安心を感じられないかって言うと、
将来の事を考えすぎるからでは?
保険にしても「将来起こるかもしれない病気や事故」に対する安心を得たいために入る。
それも大切だけど、実は安心って「今」感じるもので今が積み重なったものなのでは・・・?
今、このブログを書きながらコーヒー飲んでる時
家族と一緒にいる時
温かいご飯を食べている時
雨や台風でもそれをしのげる家に住んでいる事
色んな場面で色んな安心感って感じられる
それを紡いでいくことが「安心」って事なのかもしれない