お金

作り置き一つに現れる自分の意識がセコ過ぎる件

先日気が付いたんですが、私ってかなりせこい性格をしています。

今更なんですがww

セコイ=ケチとも言いますが、

セコイって、了見が狭いとかそういった意味も含みます。

私は今でもですが、
何でも「無い」という潜在意識をもっていて、
それをなかなかスッキリとは手放せていないでいます。

それは、自分の思考というか、
もう一人の自分というかそれが、
「無い」
と思っていることを認めてこなかったこともあるんです。

「無い」と思っていてはいけないと、
そんなこと思っていたら、
仕事もうまくいかないし、
私は豊かだと思っていないと不幸になるんだからって、

よく言われる引き寄せの法則を
頭だけで理解していて、
本音の部分を無視しようとしていたからです。

なぜ、無視をしていたかというと
単に見栄と
持って生まれた貧乏マインド
すなわちセコイ性格というか
考え方が染みついちゃってるんですよね。

何でも損得を感じて生きてきたので
なかなか手放せてないんですよねぇ

それをまた面白い形で感じたのが、
笑ってしまうんですがww

朝のお弁当を作っている時だったんです。

私は、毎回ではないんですが
時々気が向いた時に
お弁当のおかずや副菜になるようなおかずを
大量に作り置きすることがあります。

作っている時はそりゃもう楽しいし、
出来上がったおかずたちを
タッパーやジップロックなどに詰めて並べてみると

「今日もやったぜ…。」って
達成感が半端ないので、

大好きな家事の1つになってます。

ただし、結構な労力と時間をかけることになるので、
頻回にはやってません。

その作り置きがある時って、
お弁当はもとより、忙しい朝ごはんの時も
夕食の時も
一品足りない時のお助けになったり、
もちろんアレンジしてメインにしたりと
創意工夫が出来るほか、
品数増えて食事が豪華に見えるし
娘たちは満足だしで、
ほんといい事ばっかりなんです。

でも、そろそろ作り置きが無くなるなって時、
そのセコイ貧乏マインドが
むくむくと顔を出してくるんですよね。

私、あんまり自覚がなかったのですが、
作り置きが残り少なくなってくると、
無意識にケチって使っていることに気が付いたんです。

で、そのケチっていた行動の奥底に
何があったかって言うと、

「勿体ない」「惜しい」っていう気持ちでした。

無くなるのが嫌なんですよね。

だから、使うのが惜しくなるし、勿体ないって思う。

それで、気が付いたら
使わずにダメになっていたり、
ほんのちょっと容器に残ったまま冷蔵庫で放置されていたりすることがあって、
これでは何のために作り置きしてるんだか
本末転倒な事態に陥っていることがある。

後、作り置きをたくさんしていると、
子どもが勝手に食べちゃうってことがあって

仕事が終わって帰る時に
「今日はあの作り置きがあるから、夕食は○○にしよう」とか、
ある程度段取りしながら帰ってみると

 

無い!

私が帰ってくるのが待ちきれず、子どもがおかずを食べちゃってて
段取りが台無しになることも頻回にありました。

 

食べ物って期限があるし、
美味しいうちに楽しんで食べた方が
絶対幸せだって分かっているのに、

無くなるのが怖くて
食べるのを躊躇するとか、
ほんとそれこそ

「宝の持ち腐れ」

っていうもんですよ。

これに、ある時
「はっ」って気が付いて
単純に必要な量を必要なだけ食べるようにしたら、
冷蔵庫にあまりものが無くなって
スッキリしてきた。

たくさん入っている時は
そのどれもが美味しく食べられる状態なので、
気分も良くなる。

そして、また作り置きをするのがさらに楽しみになってくる。

冷蔵庫の中で食材がしっかり循環されている。

それがとても気持ちがいいと思っている。

気のせいか、食材も喜んでいるような気さえする。
気持ちよく成仏できているのだろうか?

自分の体、主に大腸の事をケアするようになって、
「循環する」「滞りがなく流れる」
っていう事にとても敏感になっている。

水も流れていれば
その中で生きている微生物や生き物たちによって
浄化されて腐ることはない。

だけど、一旦何かに溜め込もうとした途端に
そこから鮮度は落ちて最終的には腐る。

体の中で循環しているものといえば「血液」だけど、「気」も巡っている。

人間の場合、それらが滞ってしまえば「死」を迎える。

人が病気になったりする時、
必ず何かが滞っている。

それは体の内側で起こっているので分かりにくいけど、
内側で起こっていることは
目の前の外側に起こっている事と一致するってことを踏まえていると、

からだの中、自分の中で何が起こっているのかが
分かりやすい仕組みになっているんだなと思う。

私は今、アウトプットが圧倒的に足りない。そう思った。

知識や体験を色々と溜め込んだけど、
それはきっと私以外の人たちと共有したり、
交換したりして、
そのエネルギーと共に循環させる必要がある。

それを今後はやっていく必要がある。

セコイ私という存在はは、今迄の世界なら大事な一部分だったんだろうけど、
今こうして気が付いたってことは

手放しが進んでいくことになるんだろう。

セコイ自分は今まで私を守ってくれていた。
物質的な損得を今までしっかり学んできたという事なんだろう。

これから私が向かう所は・・・?

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