プロ集団が好き
私自身は平凡で、特に目立った個性も無いのだけど、
例えばジャズのセッションとか演奏家たちが
お互いの技術を競い合って一つの楽曲を作り上げていくとか、
それぞれの分野の人が集まって
あーでもないこーでもないって言いながら
自分たちが納得のいくものを作り上げていく様が、
本当に好きで、
でも、それは音楽やアーティストたちの中でだけにあるもので、
一般の私たちの中にはそんなものは無いのだと・・・。
そんな風に思ってた。
デモね、最近気が付いたんだけど
そういうのに似た場面って身の回りに結構あるなって思う。
だけど、そういう場面では
やっぱり極めてる人同士でないと
楽しめないところがあると私は思っている。
例えば楽器を一つ取ってみても、
その楽器をどれだけ使いこなすことが出来るか、
その楽器でどれだけの表現が出来るかってところが大事だと思う。
ピアノの演奏者がクラッシックの技術だけでなく
ジャズやポップスにも対応できる技術を持ってるとかね。
そういう所が見えると「おぉー!」ってなる。
それが、プロ同士の色んなぶつかり合いの中で
「こんなことも出来るの?」って思うと
本当に感心して、一気に大好きになってしまう。
で、考えてみたんだけどもしかしたらそういう感覚って
普段の仕事の中とか、家庭にもあるんじゃないかって思えてきた。
看護師をしてた頃のワクワク
それで看護師をしてる頃の事を思い返してみたんだけど
やっぱりそうだわ!ってなった。
看護の場面というか、医療の場面では
基本や基礎的なものは重要なんだけど、
なんせ相手が「人間」なので、
基本一辺倒では太刀打ちできないのが現状。
入院患者さんの状態が急変した時とかだと、
その時に居合わせた看護師や医者、看護助手さんによって、
物凄い連係プレイが出来る時がある。
それこそ本当の神連係プレー!!
それぞれが、「今何をするべきか」を瞬時に判断して動き始める。
詳しい説明しなくても、
今何が行われていて患者さんの状態がどうなっていて、
どう動くべきかが共通認識されていて、
そりゃあ臨機応変、変幻自在に援助の手が行き届く
患者さんは急変で大変な時なんだけど、
この連携プレイが上手くいって患者さんの命を取り留めた時は、
体が疲れていても疲労感が無くて、
満足感と達成感に満たされていて気分も高揚してた。
反対に患者さんを助けられなかった時は、
疲労感も倍になるけど、
本当に紙一重のところでどう動くか、
どんな判断をするのかっていう場面にワクワクしていたなと思う。
患者さんは死ぬか生きるかの瀬戸際で
そんな時に「ワクワクする」ってとても不謹慎だなと思ってたので、
今まで黙っていました。
そんな事無いって自分で自分の感情に蓋をしていました。
不快に思う人もいると思うけどこれが本当の事なので勘弁してね
患者さんの急変場面っていうのは、そう滅多にあることじゃないけど、
そんな高揚感に似た事って他の場面にもたくさんあって、
例えば患者さんの事について色んな職種の人が集まって話し合う時に、
それぞれがそれぞれの専門知識を持ち寄って話し合う時にも、
それぞれの専門家がイレギュラーな提案をしたり
思ってもみなかった結果を導き出せたときは、
その話し合いの間もすごくワクワクしていた。
だけど、それは専門知識を持ってるだけじゃダメで、
専門知識、基礎的な知識の上に
その人の経験や専門外の知識、考え方の幅(自由さ)があってのことで、
教科書通りの事しか話せない人との話し合いは
本当につまらないなぁと思ってました。
スポーツを見ていてもワクワクする
スポーツの場面でも、それはあるよね。
看護の場面を説明するよりわかりやすいと思う。
うちの子どもたち(三姉妹)は
それぞれ小中高とバレーボールに関わってきました。
バレーってそれぞれのポジションがあるじゃないですか。
それぞれのポジションにそれぞれの役割があるんですが、
それぞれのポジションの能力が高ければ高いほど高度なプレイが出来る。
※今日は「それぞれ」何回言うねんて感じですがご容赦を
バレーはボールを落とした方が負け。
単純なルールだけど、お互いの駆け引きがある
ブロックは基本、スパイクを止めるのが仕事ですが、
それ以外にも、コースを制限して、
レシーバーが取りやすい位置に
スパイクを誘導するっていうのも
大切な役割の一つ
これは、自分の技術はもちろん
レシーバーに対する信頼も大切。
これが出来た場面を見ると
背中がゾクゾクする。
※私が言ってることをもっと知りたい方は漫画「ハイキュー」を読んでみる事をお勧めします。
ただ、このワクワクは底が無くて
技術の高い人がいつでもどこでもそうであることは無くて、
本当に一瞬
キラキラしているからこそ
そういった場面に引き付けられるのかもなぁ
極めると自由になる。
多分、子育てや家事、色んな日常にそういった場面はある。
家事でも何でも、それを極めると
出来る事、見える事が増える
それを通じて仲間が出来る
高いレベルの人たちが集まって
何かを作り上げる時の
ワクワクを私ももっと感じたい。
看護師の仕事を辞めて、時間をぜいたくに使いながら
自分が本当に求めているのは
このワクワクなんだなと思う。
本当の楽しさは極めた先にある。
今迄、好きだと思っていたことは
やっぱり好きな事ではあるんだけど
ここ数ヶ月で、そこにかなり疑問があることに気が付いた。
好きな事を仕事にしたい
そう思ってカウンセラーやHP制作、デザインなどやってみたけど
なんか違ってたの。
今迄は感じなかった違和感が
ここ最近、日に日に大きくなってきてる。
それは、もっと自分がやりたかったことが出てきてしまったせい。
今の私は、そのことについて自分をもっと高めたいと思う。
そして、そこに向かっていくことに
今までになく興奮して気分が高揚している。
何が出来るんだろう?
どんなことになるんだろう?
そしてその為に、4月から色んなレッスンを受けていますが、
それぞれの講師の皆さんたちのプロの技とか考え方とか、
そういうのを見せて頂くたびに
気分が高揚して幸せを感じます。
損得勘定の中にワクワクは無かった
私は長い間「損得」で自分の行動を決めてきた。
それを後悔している訳では無い。
正しかったとは言えないけど
そうするしかなかったから。
ただ、その為にじぶんが本当にしたいことを
かなり御座なりにしてきたことは本当
それに気が付いて修正してきたけど、
本当の意味で「損得」の意味が分かってなかったし。
(今も本当に分かっているかどうかは分からないけど)
自分の本当にしたいことも分からなくなってた。
これかな?違うかな?って、やってみて
なんかしっくりこなかったのは、
長年身に付けてきた損得勘定は
「これが好きって言ってた方が良い」っていう思考が働いて
本当に好きな事には蓋をして周りに合わせて
体裁を大事にし続けていたから
私が今やりたいことは
今はまだ公にすることは出来ないんだけど
多分一般的に
私の年代の人が聞いたら、
「そんな余裕があっていいね」とか
「いい年して何をバカな事してんの?」とか
ほぼ全ての人に言われそうなことだけど
そこでやめてしまうとまた自分に嘘つくことになるよね。
このまま進んで、もしかしたら全然違ったってこともあるかもしれないけど
今は自分のこの「ワクワク」を信じてやっていこうと思う。
そうすることで、やっと自分を信頼できる気がする。
ホントはねぇ、
こんなことに時間とお金をかけるよりも
もっと働いた方が堅実だって
そういう思考が毎日何回も頭に浮かんでは消えて
現実みると「やっぱり無理かも」って思う時もあって
不安で押しつぶされそうになることもある。
でも、今の私は「成功」は見ていなくて(←これ、初めての感覚!)
それをやることで得られる「ワクワク」した感情を
とことん味わいたいと願う
その為にはその分野での自分の技術や知識を
とことん磨きたい。
そして、そうやって磨き上げてきた人たちと共に
最高の作品を作り上げていきたい
その過程を心から楽しみたい
そんな風に決意を固めている現在なのです。