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お姫様になりたかった。

なぜか、子ども時代の事を思いだすのです。

最近、ずっと以前の子ども時代の事を
色々思い出す機会が多いんです。

なんでか分からないけど、
少し前ある映像を見てからというもの
過去が作り上げた今の思考を
「赦す」「肯定する」「受け入れる」
って決めてから

本当に色々な過去の出来事を
思い出しては胸が痛くなっています。

今日はその中の1つをお話していこうと思います。

男の子に生まれていればよかった。

私は小さい時は活発な性格で、
弟が人見知りでおとなしかったことから
よく比較されて
「お前が男の子やったらよかったのに」って
よく言われていました。

私はその言葉を肯定的に捉えていたし、
悪い気分はしなかったし、
むしろ男の子のようにふるまう事を
ずっと当たり前のようにやってきていました。

自分でもそれでいいと思ってました。

それはごく最近まで私の奥底にずっとあって、
彼氏がいても
妻になっても、
母親になっても
自分の中にある女性らしさとか可愛らしさが出て来そうになると、
それがとても気恥ずかしくて
周りに気付かれないとようにしてきました。

心の勉強を始めて、
自分の中の女性の部分を肯定しようとしてきたけど、
頭では分かっていたけど
なかなか自分に女性らしさが
本当にあるのかという事さえ疑っていたのです。

で、思い出したのが幼稚園のお遊戯会の事。

可愛くて女の子らしいお友達が、羨ましかった

私はこういうのもなんですが、
子どもの事は物覚えが早くて、
お遊戯会の練習で先生が振付を教えてくれると
すぐにそれを覚えてしまって、
そのお遊戯自体も
とても上手だと褒められていました。

みんなの前でお手本を見せる事もあったし、
急に出れなくなったお友達の代わりに
舞台に立つこともありました。

でも、ある時、
その幼稚園で最後の発表会の時があって

それは大きな市民会館を一日借りて
行うものだったんですが

その時自分に与えられた演目を聞いて
とてもショックで家に帰って大泣きしたんです。

それは、発表会の最後、
大取に演じられる「連獅子」でした。

4人で演じるそれは
私以外は男の子しかいなくて、
衣装はもちろん勇敢な感じ。

どうしてそれがショックだったかというと、
幼馴染の女の子がもらった役が
「白鳥のお姫さま」だったからです。

親は、大取の演目で
鼻高々だったらしいのですが、
私は「お姫様」になりたかった。

きれいなドレスを着たかったんです。

その女の子は
ずっとクラシックバレエを習っていて、
髪も長くてリボンをつけていて
家もお金持ちでピアノも習っていて。

近所だったこともあって仲良くしていたのですが、
ずっとずっと羨ましかったんです。

私もバレエを習いたかった。
可愛い綺麗な衣装を着て踊ってみたかった。

髪も長くして、
くるんとカールさせて
リボンをつけて
ピンクの服、
レースやフリルいっぱいの服を着たかった。

でも、彼女はお姫様で私は連獅子。

しかも男の子がやる演目の中に女の子1人。

本当にショックでした。

恥ずかしくて封印した思い

「最後の大事な演目やで、すごいやん!」と
励ます母親が本当に嫌だった(笑)

で、その話を
お母さん同士で話しているのを聞いてしまい、
泣いてしまったことが恥ずかしくて、
また、父には
「おしめ様になりたいんか(笑)」とからかわれ

私の中の女の子の部分は
封印されることになった。

それ以降の私は、やはり少女漫画が好きで
「キャンディ♡キャンディ」の世界ではアニーが大好きで
ヒロインに憧れていたものの、
それを大っぴらに公言することは恥ずかしくて、

小学校になってもそれは変わらず
むしろ、私は身長が高かったことで
「大女!」「女番長」と言われたりして
周りの男の子はみんな私よりも背が低くて
余計、可愛く振舞う事も
出来なくなっていった。

こう書くと、私って可哀そう
そう思うんだけど
無意識のまま

何となく、周りから言われるイメージに

自分から寄せていってたんだ

 

『「か弱さ」を見せたくない私』を否定し続けていた件

私、恋愛だけでなく
好きな物に関しても
女の子らしさや弱々しい部分を出すことが
物凄く恥ずかしかった。

だから本心をさらけ出すことが出来なかった。
それは元夫に対してもそうで、
最近までは身近な友達や子どもたちにさえ
それを表現してはダメだと思ってた。

この幼稚園の出来事を思い出したことをきっかけに、
そう言えば・・・。と
腑に落ちることが多々あって、
次々に自分の中の乙女な部分を
小さい頃の記憶から思い出してきました。

「女の子らしさを出して良い」と許可をすると・・・。

心のお勉強をしてきて
色んな自分を出しちゃっていい
曝け出しちゃっていい

そんな風にやってきて
自分の事を肯定しようって頭でやってきてたけど

幼稚園の頃「お姫様になりたかった!」って泣いたように

  • 愛されたい
  • ○○欲しい
  • ○○したい

素直になろうとすればするほどに
思考が大きくなってきて
今度は

素直になろうとするを、否定するを、更に否定する

何この状態?

私が言ってること、分かりますか?

素直になろうとする私が出てくると、
今迄それを封印してきた私が「怖いからダメ!」と言う。
だから、更に「ダメって言っちゃダメでしょ!」って
また自分を否定する謎の駄目だしサイクロン発生
二重も三重も自分を否定することになって
すごくしんどい状況になってたんですね。

素直な私も否定する私も、全部自分。

幼稚園の頃、お姫様になりたかった私も、
恥ずかしくてそのことを無かったことにした私も

全部私

心のお勉強をした時、自分のすべてを受け入れるっていう意味が
今になって本当に腑に落ちた

あの頃の自分はピンクやフリルが好きで
でも、それを出さなかったことで自分を守っていたことも
そうやって両親の愛情を向けさせたかったことも
その時の私はそうするしかなかった。

過去の私に対して
「そうしなければよかったのに」って思う私も
後悔したり、懺悔したり
そんな私もすべて私。

もう何回も、何回も私のすべてを受け入れるって覚悟しながら、
まだまだ気が付かなかったり、どっかの奥にしまい込んだ私がいるんだな。

今、本音で生きようとして要らない思考を捨てる手放すようにしてきたけど、

本当に手放すっていうのは、
「赦す」とか「受け入れる」ってことなんだな。

そして、受け入れる器を広げるには
自分の価値がどんなことがあっても変わらないと信じる事

今迄苦労したとはいえ楽しい事もそれ以上にあった。

それを体験させてくれたのは、
本音で生きた自分だけではなく
思考で生きた自分のおかげでもある。

それでも自分は自分でその価値は変わらないんだと、
今迄思考は私を守ってくれていた。
自分の事をちゃんと愛していたんだと
そんな風に思ったら

思考だって悪者にしないで受け入れられるような気がしてる。

子ども時代のエピソードを

次から次へと思いだして

本当はあんなことやこんなことを

やりたかった。好きだった。

改めて、本心と向き合う時に
色々な思考が邪魔をするけど

その思考さえも

今まで自分を守ってくれていた。

そう思うと

思考を邪魔者扱いしてきたここ2~3年の私が

思考でさえも、甘やかしてみようと

そう思うようになりました。

そうやって昔を思い出して本音を大事にし、

それを「ダメ出し」する思考を

「よしよし」する。

「もういいんだよ」「もう、誰も否定しないよ」って

自分に言い聞かせ、なだめることをしています。

そうすると、不思議な事に

どうしても許せなかった

昔私にひどい事をした人たちの事も

あの時はあの人たちもそうするしかなかったんだ。

そう思えるようになってきました。

不思議な体験でした。

 

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