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ひとりごと~monologue~

今迄自分が辛かったから
みんなそうだと決めつけるのはやめよう

自分たちが先代よりも楽に生きられるからといって
罪悪感を感じるのを辞めよう

自分たちが辛かったから
これからの人に同じ辛さを強いるのは
辞めよう

ジェットスキーに乗りたかった
周りの反応、友達の反応、父親の反応
それでもやりたかったけど
やる限りは、反対した人たちに見せつけるために
無理をした
楽しかったのは事実だけど

周りの反応が常に気になって、ただ楽しむことに集中できなかった。

お金がかかる。
仲間と時間が合わない等の不満ばかりに目が行った

更に自分が楽しめない事を、
仲間が受け入れてくれないからとか、
給料が少ないからとか
周りのせいにしだしてから、
ジェットスキーに行くのが億劫になってきた。

近畿の大会で2位を取って、
その時の近畿北のクラスでも総合2位を取ってから

急に、やる気が無くなったのと
伸び悩んだのとで
練習に行かなくなって
自然に辞めることになった。

もし今、体が自由に動かなくなったら、
自分はどうするだろう。

突発的な事故や、病気が無くても、
必ずみんな平等に訪れるもの
それは「老化」です。

自分たちの体は無限ではない。

いつまでも元気でいたい

そう思うのはみんな同じだけど、
人間はみんな「死」に向かって生きている。

いつまでも若い状態の体ではない。
個人差はあるだろうけど

必ず「老い」はやってくる。

そう思うと、あの時反対はいっぱいされて、
周りの人にも「無駄な事にお金を使って」って言われても
ジェットスキーをやって良かったと思う。
  ※やってる時は、周りの目を気にし過ぎてたから
   後悔するとしたら、もっと没頭すればよかったとは思う

もし今、病気で死んじゃっても
私はあまり後悔は無いと思う

世間でいう成功は無かったかもしれないけど
結構自分の思うように生きてこれた。

まだやってみたいことはあるけど
今の段階で、やれることはやってみたし

他人に惑わされることも
他人の感情を受け取って行動してしまう事もあったけど

看護師としても満足だし
自営業もやってみたし
新しく取り組んでいることも
とりあえず一歩を踏み出せていることに満足している。

結婚も離婚も経験できたし
子育ても満足してる

父は、「もっと自分の思うように生きたかった」らしい。
 ※2年前の「心屋塾マスターコース」での課題で父にインタビューした時分かった。

父が理想とする家族や社会
私はそこに貢献することは出来なかったけど、

以前の私なら、父に申し訳なくて
父の傍に戻って介護をすることを選んだかもしれないけど

罪悪感で父の介護をするのは
ちょっと違うと思う。

父の思うように生きてこれなかったから
せめて介護をするだけならいいけど

今の自分がやりたいことを諦めてまで
父のもとに変えるのは違うと思った。

やりたい事といっても
今ここで三女と一緒に生活したいだけなんだけどね。

「父」という存在が今の私たちの生活に入り込んでくるのを
今の私は「良し」としていない。

父のいない今の生活を続けたいから
父とは同居しない。

嫌なしがらみの連鎖は私で断ち切る。

今のお年寄りのほとんどは、体が自由に動かせない事で
他人の世話を受けることに対して
「情けない」っていう思いを口にすることが多い。

どういう気持ちなんだろう?

私は「悔しい」そう聞こえる。

前は「申し訳ない」と聞こえてたから
「そんな風に思わなくてもいい」って言い続けてたんだけど

もしかしたら自分自身に言ってるのではと

最近ではそう感じている。

大変な時期、個人の望み通りに生きられなかった時代
「世間」に縛られてた時代を生き抜いてきた人たち
今では考えられないくらい我慢を強いられてきたんだろうと思うと

不意に「自由にしててごめんなさい」って思ってしまうんだけど

もうそこにも引きずられないww

この人たちは、そういった思いを感じるためにあの時代を生きてきた。
「後悔」「悔しさ」それだけではないだろうけど
そういった私たちとは違う感情をそのまま抱いて
老いて死んでいくのだろう。

それを目の当たりにしても
私は私を生きていく

勝手に周りの感情を引きずって自分を捨ててしまわないように

 

 

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