先日、中学生の3女が部活を引退しました。
部活の集大成である総体も中止となり、部活動も縮小されて3年生にとっては散々な年となりましたが、そのおかげで、3女はすごく成長したと思います。
3女は「おうし座」とても「本物」に対しての拘りが強い。自分が「こう」と思ったらなかなかその信念を曲げません。だけど、他人に対しては許容範囲は広のが不思議。
キャプテンとして、その役割を一生懸命果たそうとしたけど、「まとめたい」思いが強すぎて疲弊しちゃってました。そうすると自分の技術も伸びなくて、さらに顧問の先生から厳しく指導される。本当に苦しんだ3年間でした。
でも、その苦しさは本当は3女自身が選んだもので、周りを何とかしようとする思いを手放したくても手放せなかった。自分が理想とする部活動の在り方に一向に近づくことが出来なくて、周りを何とかしようとしてしまう自分も嫌になっていたところにこのコロナの影響。もう、強制的に手放しをさせられた感じがすごくて大会が亡くなった事の悔しさとかそんなこと以上に「ホッとした」ようです。
責任ある役割を任せられるとき
生きていく中で、自分からではなく社会から与えられる役割というのがある。自分がそう望んでいないと感じていることもあるよね。他人から期待されてそれに応えるように動くと、やっぱり生き辛いもんだなと思う。
もちろん、与えられた役割の中でも、それをどう果たすかはその人自身の自由。で、私が感じたのは上手くいく人って「周りをどうにかしようとしない人」だ。周りを信じて、自分のできない事も知っていて任せて頼れる人だ。
役割を果たそうとして逆に孤立する人は、周りの人たちを「自分がどうにかしてあげないとダメな人たち」って思っているから、任せられないし、頼れない。結局、全部自分で動いてしまって、周りの感情を無視して「正義」を押し付ける。結果周りに反発されて孤立する。「一生懸命やったのに、みんな分かってくれない」「私はみんなから信頼されない」そう感じて自分を責めて拗ねる。
一度全部頼って委ねて任せてみる。
本当によくできてるなぁと思う。もう、自分の事過ぎて「イヤー(´;ω;`)ってなります。」
周りが協力してくれないとか、周りが動いてくれないとか、そういう事じゃないんだよね。
周りを信じる事。本当に大事だと思う。
自分の周りの人たちが、世界が優しいと信じていたら、自然に任せられるし、委ねて頼って楽に生きることが出来る。
で、今現在、私を含めて周りが怖いって思ってる人は「信じることが怖い」よね。頼っても助けてもらえないかもしれないし、委ねても思ったようにはならないかもしれない。自分が期待した結果にならないかもしれないからね。
でも、人ひとりの力が及ぼす範囲なんて、たかが知れている。それよりはたくさんの力を使えばもっと大きい事が出来る。
そして、周りをどうにかしようとする無駄なエネルギーを使わなくなれば、自分の力ももっと発揮できる。
結果、自分が思っていた「上手くいく」という状況を超えた形で「上手くいく」んだなって思う。
昨日、私は誕生日でした。子どもたちがお祝いしてくれました。
私は「獅子座」
私も三女も「不動宮」こだわりが強くて、頑固な部分がある。
中学の部活での経験を経て、私たち親子は「自分が何とかしなければならない」という前提を手放します。
もっと、柔軟に穏やかにヘラヘラして生きていきたいな。
そんな事を思ったのでした。