私は本当に好きな物(こと)を選んでいるだろうか。
そんな事を思いました。
先日車の中でラジオを流していると
「最近の子どもたちは、夢を語れない子が多い」
という言葉が引っかかった。
本当だろうか?
私の中では
子ども特に小さければ小さいほど
自分に正直に夢を語っているように思う。
むしろ、大人程夢を語れない人が多いのではないだろうか?
それは、今迄にも書いてきたように、
沢山の経験から得た
知識や常識
関わった人たち(親も含む)の考え方や物の見方
人の目、世間の目
の影響が強いもんねぇ~
大人の方が、色んなしがらみの中で生きてるもん
それを言った人を非難しているのではなく
それは、私に投げかけられた言葉のように
基本、子どもに見習った方が良いよね~って思う
私は、3人娘がいるけど、
その中でも特に三番目の言動はすごく参考にしてるところが多いよ。
それはまた、追々書くこともあると思うけど
そこからふと
本当に好きな物
したい事
在りたい自分
を望んで生きてきただろうかって
やってきたけど、本当のところはどうだったかを改めてさぐってみた
私は、それを見つけるために
この3年間はそこのところを見極めたいと
色々やってきた。
で、失敗もあって
やってみたはいいけど、
「そんなに好きじゃなかった。」
ってことも沢山あった。
私の中の多くのブロックは
お金を通じて見つけることが出来た。
お金持ちになりたい
私は「お金持ちになりたい」という願いがあって、
お金に関するセミナーに参加したり、
セッションを受けたり、
働き方そのものを変えたりしてきたわけだけど
先日、「私、そんなにお金好きじゃないな」
ってことに気が付いた。
それは、あるお友達のSNSを見た時、
「お金のことを考えるとホワ~ンと幸せな気分になる」
そんな内容だったと思う。
私、お金のことを考える時
子どもの教育費や日々の生活費の事ばかり考えている
幸せな気分にならない。
そもそも、お金を好きな人のところにお金って集まるらしい
で、お金のことを好きになろうと
お金が好きになるワークをしたり、
自分の掘り起こしたりしてきたけど、
そこまで好きにならないww
まぁ、今迄みたいに
「お金=悪者」って意識は無くなったのだけど
お金があるって状態は少なくとも安心するとは思うけど
お金があるだけの状態では、幸せって思わない。
決定的に大好きとは違うなって
思ったのでした。
何のために「お金」が必要なのかを考えてみた。
(私の場合)
で、私は何のためにお金が必要なんだろう
って考えた時に
????
今以上は必要ないかもしれん
そう思っていました。
「あったらいいけど無かったらなかったでいい」
お金が必要な事はたくさんあって、
今思いつくものもいっぱいあるのに
例えば家具が欲しいとか
DIYの道具や材料が欲しいとか
服が欲しいとか
色々あるけど、それほど必要と思ってない。
今まで、お金が必要だって
だからお金持ちになりたかったんだ。
なのに、必要と思ってなかったって
どういうこと?
それは、私が意識してなかっただけで
無意識と言うか潜在意識の中では
そう思っていたって事が
行動として現れていたから
行動してない。
そう。お金が必要だっていう望みを
行動に移してなかった。
これ、分かりにくいかもしれないけど、盲点だった。
例えば部屋の模様替えを考えていて、
カーペットが欲しいなぁ
そう思った時に
色々ネットで見たり実際に見に行ったりして
どんなカーペットが良いか検討するよね。
で、ある目標を絞っていく時に
色んな条件が浮かんでこない?
価格、大きさ、設置の手間
配送方法とかそれに掛かる代金
季節とかその他もろもろの条件
で、結局本当に気に入っていても
その条件に合わないから諦めるとか
似たようなもので代用するとか
そんな事してませんか?
私、自分はやってないと思ってましたが、
やってましたわww
私の中で、お金を動かすときに
絶対的条件となっているのが
「必要性」
今もね、コートが欲しいなぁ
というよりも
コートが必要だよね。
って感じ。
だから、今あるお金の中でやりくりしちゃう。
自分の枠を超えない範囲で満足しちゃってる。
何かを買う時、本当に大好きで
それがあったら幸せな気持ちになる
そんなこと考えてもみなかった。
何となくそれがあればいいから、
色とかデザインとか質感とか
80%ぐらい満足できれば
それでいい
そんな風に思っていた。
妥協と諦め
知らず知らずのうちに
そんなにお金なくても大丈夫ってなっちゃってる。
本当に大好きなものを手に入れたいと思った時
本当に何の妥協推せず、諦めもしないで
手に入れることが出来たら
それを見て本当に幸せな気持ちになれたら、
本当の意味で「お金」に対して感謝の気持ちが
生まれるのだと思う。
現実を見過ぎて
妥協して、諦めて
自分の財布の器が広がる可能性を
信じていなかった。
だから、お金があって良かった~とか
お金が一杯で幸せ~。
ってお金に感謝もしないし、買った物に対しても
そんなにドキドキしない
これくらいで良いかぁ~っていう妥協と
やっぱり無理だもんっていう諦め
自分の意識の奥にそういった思いがあること
本当に欲しかったものなのかも
疑わしい
物に限らず、自分が望んでいると思い込んでいることも
実は、バグにやられている可能性があるんだなって
頭を抱えてしまいました。
もう、何のことやら分からんようになってたよね。
本当に望んでいるものなのかを丁寧に自分に聞く
こういう経過をもって現在私は
本当に欲しいと思うものにしか
お金を出さない
若しくは
欲しいものはお金や必要性を考えずに買う。
そんなキャンペーンを絶賛実施中。
これ、お金のワークとしては本当に初期に教えてもらっていたこと
だけど、その意味が分からなかったし、
ただ、やみくもに取り組んできた。
高いものの方を望んでいるんだろうと
自分が本当に欲しているかどうかを
自分に返す事。
今まで、本当に好きな物と思って買った物も
そんなに思いもせずお金を出せていたのは
本当に好きな物ではなかった
本当の望みではなかった
可能性が高い。
つまり、ダミー
自分の望みをいちいち確認すること
それは、自分との仲直りなんだろう。
どんなけ自分を無視してきたんだろう
自分が本当に望んでいることも分からなくなっていた。
まだまだ、入り口です。
これからですww
何回も何回も
間違えながら自分に辿り着けるように